Freedom Interview
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あるがままを受け入れながら美しく変化していく旅人。手に入れてから20年に届こうとするスポーツスターに乗り続ける国井律子さんの今を訊ねた

2017.04.07

旅人・エッセイストとして活躍する国井律子さん。ハーレーと出会い、スポーツスターで日本国内はもちろん、世界一周の旅も達成。ハーレーとの旅で感じたこと、そしてこれからの夢を語っていただいた。

深みと艶をまとったブルーのボディ。その中央を貫くチェックのストライプ。それは紛れもなく彼女のオートバイだった。1999年以来乗り続けている『スポーツスター XL1200S(Sportster® XL1200S)』。ハーレーの中でも極めてタイトなモデルだが、その軽やかさを以ってしても乗り手が頼りなげに見えるところも彼女のままだった。
国井律子。著書が20冊を超える旅エッセイスト。それでもなおかつ挨拶も適当に、「もう41歳になりましたよ」と言う相変わらずの屈託のなさが懐かしい。
個人的な前置きとして、以前から彼女を知っていることに触れておきたい。初めて会ったのは、恐らく彼女がスポーツスターを手に入れる少し前のことだ。当時は、今も所属している芸能事務所のほぼ新人タレントだった。だが、カメラの前ではそれなりのポーズはできるものの、誰かに取り入るような愛想笑いができるタイプではなかった。
それから約20年。定期的に会うでもなく彼女の活躍を眺めてきた。そんな間柄でありながら初対面を装った文章を書くのはあまりに不自然で、それこそそんな個人的な感覚に惑わされて彼女の物語を曇らせるわけにもいかなかった。
そこで、完全に敬称略。あえてクニイリツコという名で書くことをお許し願いたい。

自由だった20代、人生を変えたスポーツスターとのフィーリング

ハーレーに乗ることは自然なことだった

「何も考えてなかった」
大学卒業と同時に就職する形で社会人にならなかった当時をクニイはそう振り返った。言葉尻だけを捉えれば、いかにも二十歳そこそこの気楽さが漂うが、多分当時の本人は自分の居場所が見定められず、何を考えるべきかを考えていたのだろう。
そんな頃、仲間が乗っていたスポーツスターに惹かれた。
「跨らせてもらったら、何となくフィーリングが合ったんですよね。スタイリッシュでシンプルで、それが天下のハーレーダビッドソンだなんてまるで知らず、これに乗るのが私にとっては自然なことだと感じました」

スポーツスターを手に入れ、動き出した夢

そしてクニイは「何も考えない」ままスポーツスターを手に入れた。それから半年後、購入したショップから雑誌のオーナー取材を受けてくれないかと連絡があった。気楽に応じたら、編集長直々に「表紙に出ませんか?」と言われた。それがエイ出版社の「クラブハーレー」。後に彼女が連載記事を持ち、それをベースに文庫本を出すことになるハーレー専門誌だ。
「もちろん驚きました。ただ、生意気にも一つリクエストさせてもらったんです。文章が書きたいと。本当のことを言うと、あちこち旅をしたかったんです。その時点ではスポーツスターを持っていたから、オートバイで全国を走り回るような旅が。それを仕事にするなら文章を書く以外にないと考えて……」
そんな無謀とも言える願いが通ってしまった。クニイが出会った当時の「クラブハーレー」は創刊間もない時期で、従来のワイルド&アウトローとは異なるカジュアルなハーレーイメージを模索していた。そこに彼女がはまった。女性とハーレーというギャップがまだ珍しかった時代だったこともあるが、それ以上に「あのハーレー」を華奢な女性が操って方々を走り、旅先の美味しいお酒を楽しそうに語るクニイのキャラクターが新しかったのだ。
「連載の取材がないときも、一人でスポーツスターに乗って日本中を走り回りました。高速を使わず鹿児島まで行ったこともあります。あ、四国からはフェリーだったんだ。好きなんですよ、フェリー。お酒がゆっくり飲めるから(笑)。あちこち出かけて現地で会った人と居酒屋さんで盛り上がったり。自由だったな、20代。青春です、ハーレーは」
クニイの人生で「もし」を語るなら、やはりスポーツスターとの出会いだ。その青いオートバイは、何より彼女の旅心を触発した。「同じところに居続けると飽きてしまう」というのが彼女の旅心の核だ。とすれば、元来クニイの中にあった「不定住性」を浮き彫りにし定着させたのがスポーツスターだったのである。20代前半の無計画な買い物を強行しなかったら、彼女は今とは全く違う自分を生きることになったはずだ。

女性としての幸せを求め、決断

バイクで世界一周の旅へ、そして結婚

「クラブハーレー」の連載が終了した後もクニイの元には紀行文の仕事が舞い込んだ。乗って書ける上にビジュアルも申し分ない存在は、依然稀有であり続けた。
そんな日々に自ら区切りをつけるべく、最大限の「不定住性」を爆発させる。34歳になる2009年、オートバイで世界一周の旅に出た。プロの旅人であれば、誰もが羨む浮世離れした挑戦は不可欠かもしれない。無論、旅の様子をまとめて出版する腹積もりもあった。プロの書き手として。しかし彼女の旅立ちは、それ以外の大きな理由が背中を押していた。
「リミットだったんです。次に進むための。30代も半ばになれば、友人たちは結婚し、子供を産むじゃないですか。女性としては、私もそこに到達したかった。だからこそ世界一周という自分で立てた大きな目標をクリアして、すべてのわだかまりを解消しなければと。でないと一生後悔すると思ったんです」
誤解を恐れず言葉を選ばず言えば、クニイも女性だったのだ。先に彼女には不定住性があると書いたが、それは不安定とは異なるものだと承知してほしい。これが男性であれば、たとえば俳人の山頭火のように不安定さが不定住性を上回り、あてのない旅の中で身も心も落とし込めかねない。そこまで身を削ってこその俳句は確かに心を打つが、あるいは女性には響かない類かもしれない。同じ旅人でもクニイはそれを知っていた、ということか。
断続的に続いた世界を巡る旅は、2年を費やして2011年に終了。その年の誕生日、彼女は結婚した。

言葉にならないくらいの景色

「サロベツ原野ですね」。これまで旅した場所で、どこが最も思い出深いかとの問いに対する答えだ。サロベツ原野は、北海道北部に横たわる広大な湿地帯である。
「留萌(るもい)から日本海側を北上して、稚内に向かう国道40号の途中にあるんです。言葉にならない程の雄大な景色なんですよ。道はどこまでも果てしなく真っ直ぐ。信号すらない。広さで言えばアメリカには叶わないけれど、日本にもこんな土地があるという事実に感動しちゃって。あと、北海道は何を食べても美味しい。それが世界のどんな場所と比べても勝っちゃうところかもしれない(笑)」

あるがままの姿で、ハーレーと共に我が道をゆく

息子とタンデムで走りたい

既に男子を授かり母となったクニイは、現在も二輪専門誌で連載を持つが、かつてのようなソロツーリングはできなくなった。しかし、自分で選んだその生活に何ら不満はないという。子供との暮らしは自身のブログ「別冊リツコング」で定期的に紹介しているが、そこには彼女らしく子供の成長を見守る母親の姿が映っている。結婚も育児も、あるいは年齢も隠さなくていいのかと老婆心からたずねてみても、「隠す必要、あります?」と例によってサバサバした答えが返ってきた。
「昨年の終わりに、『クラブハーレー』200号記念特集で1回だけ昔の連載取材が復活したんです。当時のスタッフと2泊3日で沖縄へ。子供ができてから二夜連続で家を空けたことがなくて、息子には申し訳ないけれどすごく楽しかった。こんなに面白い仕事をやらせてもらえていたこと、今になって良く分かりました。でもね、普段はちょこちょこダンナと都内でグルメツーリングをやっているんですよ。小さいながらもキャンピングカーを持っていて、今は家族で旅するのが楽しい」
同席していた女性担当者がそれを聞いて「羨ましい」とつぶやいた。あるがままの今のクニイの姿は、今後は同姓に強く響いていくのかもしれない。

「息子も3歳になったから乗り物のことが分かるんです。今日もスポーツスターで出かけようとしたら、ズルい僕も乗るってごねていました。そのうち息子とタンデムで走りたい。でも私のスポーツスター、シングルシートですからね。それを変えたくないし、どうしようかなあ」
そうして彼女は変化と成長を素直に受け入れながら、自分の中の不定住性とも上手に折り合いをつけていくのだろう。クニイは変わっていく。口幅ったいが、美しさに磨きをかけながら。願わくば次に会うときも、同じ青のスポーツスターを頼りなげに走らせていてほしい。

取材協力:BROOKLYN RIBBON FRIES KOMAZAWA

Text:田村十七男
Photos:横山マサト

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